現在、発売されている入浴剤の種類は約2,300種類。
その始まりは1897年(明治30年)に銭湯向けに発売された「くすり湯 浴剤 中将湯」に遡ります。
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1890年代に津村順天堂の社員が中将湯の生産の時に出る残りカスを家に持ち帰り風呂に入れたところ、冬はカラダが温まり、夏は子供のあせもが消えるというので、社員の間で評判となりました。この噂を本店のある日本橋や工場のある目黒の銭湯が伝え聞いて、販売するようになったのが始まりです。
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「くすり湯 浴剤 中将湯」は冬はよく温まるが、夏は暑くて汗が止まらないで困る。夏用の入浴剤開発の要望により1930年(昭和5年)「バスクリン」が発売されました。当時は150gで50銭でした。当時の銭湯の値段は大人5銭だったので、今とはちがいかなり高額な商品でした。
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太平洋戦争が勃発したため原材料と人員が不足し昭和20年の終戦を迎えた時には「バスクリン」の製造は中止され、入浴剤は浴剤中将湯のみとなっていました。
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「バスクリン」の製造が再開されました。当時は資材の都合でガラス瓶入りという形態での販売でした。「バスクリン」が国民的ヒット商品となるまでには約10年の歳月を必要としました。
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10月「バスクリン ジャスミン」が発売され、時を同じくして、日本の住宅事情の変化が売れ行き増大に大きく貢献しました。はじめ、「バスクリン」の製造は、目黒工場で行われていました。ところが、昭和30年代後半に入ると急激な需要増となり、目黒工場(1919年 大正8年竣工)での生産量の30%しか対応できず下請け工場に生産依頼をせざるを得ない状況になってしまいました。そこで目黒工場を売却し、昭和39年に静岡県藤枝市に主力工場を移転しました。
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「バスクリン」の容器革命があり、翌昭和43年に「バスクリン」はスパイラル缶に変わり、大量生産が可能となり、「バスクリン」の売上も飛躍的に伸びました。
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昭和50年には「クール バスクリン」が発売となりましたが、入浴剤は冬につかうものというイメージがあったので、ひっそりとした発売でした。
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こども用入浴剤「ふろっこ」が発売となりました。
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昭和59年に「バスクリン」が880gの丸缶へ変更。
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日本の名湯シリーズが発売となりました。「作並」、「箱根・熱海」、「古奈」、「濁河」、「白浜」の5品での発売でした。翌昭和62年に日本の名湯シリーズ「登別カルルス」、「山代」、「人吉」が追加発売となりました。「登別カルルス」・「山代」は日本で始めての白濁入浴剤です。
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発泡タイプの入浴剤トリムを発売。
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清涼成分の働きで、湯上りがひんやり涼しい画期的な入浴剤「アイシングバス」が発売されました。
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平成10年にはお肌をいたわる乳液タイプの薬用入浴液バスクリン ソフレを発売しました。最初はフローラルの香り、フルーティの香りの2種類でした。
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「バスクリン」にとって大きな変化がありました。人間工学の視点から容器形状を楕円にし、自然環境へ配慮し再生紙を使用したボトルへと変更しました。
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平成15年に温泉を科学し、炭酸ガスと温泉ミネラルから開発された「きき湯」を発売。「温泉ミネラル+炭酸ガスの温泉効果で1日の終わりにからだケア」のキャッチで翌日の症状を和らげる新入浴習慣の提案を実施。
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平成19年にはカラダに良い、肌にやさしい健康入浴剤バスクリン カラダプラスを発売。ビタミンC配合、有機栽培によるホホバオイルなど自然派成分を使用した入浴剤。湯色は色素を使用しないビタミンB2の色。入浴後の意識を良好にする新感覚の入浴剤。
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「バスクリン」が誕生して80年。これを記念して「バスクリン」が新しく生まれ変わりました。
お風呂の歴史は大変古く、6世紀から。
現代も受け継がれている日本の入浴の歴史をご紹介します。









